007 印象日の出 受難日誌7/8

Copyright:坂田 正次

「印象日の出」を強奪されたマルモッタン美術館長のイブ ブライエール氏への朝日新聞社の取材が1987年11月02日に行われています。
以下はインタビューとその答えです。

「犯人グループから、日本の銀行に大金を払い込めば、印象日の出を返すと伝えられた」

「その日本人はいつ、来たのか?」

「昨年6月だ。東京のフランス大使館を訪れて、絵のありかを知っていると、印象日の出の写真を見せた」

「どんな写真か?」

「写真は絵の表と裏を写したものだが、裏側を写した写真はカタログにはない。絵の番号も写っていて、印象日の出の番号と一致した。奪われた後に写したものに間違いない」

「彼は強奪犯が要求する代金を提示したか?」

「最初はフラン払いで500万フランを要求したと聞いている。その後、円での支払いに要求を変えたという。しかし、フランスの捜査当局が、ここで金を払えばまた同じような犯罪が起きると考え、払わせなかった」

(フランス大使館を訪れた日本人)
強奪犯グループが500万フランを要求した当時、藤曲信一は報酬の支払い問題がこじれ、ジャマンたちから遠ざかり失踪状態になっていました。
「印象日の出」などの絵画をめぐっては、沢山の人物たちが日仏の間を行き来していました。
「印象日の出」をなんとか換金しなければ治まらなかったのです。
そうした中で日本人フリージャーナリストのAさんが仲立ちに入り、窃盗グループたちの要求内容をスイス ジュネーブでフランス捜査当局へ、そして日本のフランス大使館にも伝えています。
Aさんの行動は「印象日の出」を無傷で守るためのものでした。